2011年09月18日

園芸日和

朝晩どころか日中も20℃以下と涼しくなって、台風の影響で雨も降ったりするけれど、
冬になる前の残り少ない貴重な日々を、逃すまいとせっせと庭に出る。

雨が続いて伸び放題の草を刈れば、その下に瀕死の苗がある。
今はまだ数センチの弱々しい苗も、年数を経ると遠くからでも目立つ大株となり人目を引く。
購入した苗は、分けられるものはいくつかにして、あっちこっちに保険株を作る。
無理な株分けが裏目に出て、それでダメにしてしまうものも多々ある。
種まきからの苗も同様、あちこちに分散して植える。

種が出来てたら、来年ここに出てきたらいいなと思う場所に蒔くけれど、
そのままだと鳥や虫に食べられたり、乾燥してしまうかも?と土をかぶせる。
増えすぎてどうもならないのは、抜いて花壇の周りの草地にほかす。
切り戻しや剪定枝もダメモトで花壇の周囲やまだ手付かずの場所に挿し、労少なくして庭の拡大を目指す。

何がこんなに楽しいのかと自分でも分析しきれないけど、
日が暮れて暗くなるまで庭にいる。だってとっても楽しいんだもん。


仕事は、自営業でもない限り(たぶん自営業でも)自分の思うように出来ない。
もっと良かれとやったことが評価されないだけじゃなく裏目にでたりした。
ずーっと前のことだけれどね。
自分じゃ体力の限界まで働いたつもりなのに、格段に体力差がある人と比べられても困る。
使う側と使われる側が感じることは天と地の差がある。
そこにまだ、少しでも納得できる理由があれば、続いていたかもしれないが・・・。


子育ては一生の仕事じゃない。
子どもらはみんな巣立って、それぞれダメ親を超えてくれた。
世間的には普通の暮らしだけど、曲がりなりにも自立してる。
ほんとにまあ、こんな私らから比べたら上出来だ。
なんせ、親のレベルが低すぎる。ここだけは感謝してもらわないと。笑


老後というにはまだ早すぎる年齢だろうが、気分は老後、余生を楽しむことにした。
好きなことを好きなだけやらせてもらえる環境に感謝しきり、もう、自分より優先させるべきものはない。


庭は毎年変わっていき、植物との付き合いは奥が深い。1つ1つの花たちがもっと伸び伸び育つよう、園芸種はその魅力を最大限に引き出したいし、組み合わせ方でイメージも変わる。
山野草や高山植物は自生地の環境に近づけることで、栽培自体が難しいと言われるものをどうにか育てたい。
自生地の環境・・・想像も付かない、海外のものにまで手を出している。

特に孤高な山、岩場に咲く花に魅かれるんだよね。一生かかっても栽培は無理かもしれない。

でも、まだ可能性は残されてる気がするから、その環境作りも兼ねて庭造りを進めている。
木の苗がまだみんな小さい平坦な庭を眺め、数(十)年先を想像しながら1本1本の草を抜く。
そんな先まで生きている保証はないから、私が死んだら庭はどうなるか? 子どもは無理でも孫で誰か、植物に興味を持ってくれたらいいな。

誰もいなけりゃ、ゆっくりと滅んでくれたらいいと、まだ創り上げてもいないのにそこまで考える。

何事も足元の作業、地道なことをコツコツやっていかねばね。コツコツを通り過ぎて、ちまちまと細かすぎることに没頭してしまうので、時おりでんとそびえるドロノキを見上げ、向かいの山に目を凝らす。






posted by kyouei at 07:59| Comment(0) | 多年草 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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